読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

RYULOG

龍太郎の雑記ブログ

ブロガーはもっと社会問題を記事にすべきだと思う4つの理由

雑記 ブログ

f:id:r9yu25:20160829204251j:plain

 

やぁ。

 

昨日、24時間テレビの「障碍者と健常者の不平等問題」という社会問題について記事にし、はてブユーザーたちにブコメでコテンパンに叩かれて軽くヘコんだはま龍だ。

 

 

ただ、多くの批判にさらされたことで、表現の仕方が下手だったという己の欠点を自覚をすることが出来たし、そのテーマに対してまだまだ知識が浅かったなという反省もできたし、総合的にはブロガーとしていい経験が出来たなと考えている。

 

そのような昨日の反省を踏まえ、僕は

 

ブロガーはもっと社会問題を記事にすべきだ

 

とも考えるようになった。

 

その理由を話しをさせて頂こう。

 

 

インプット力が鍛えられる

 

ブロガーの皆さんはブログの記事を書きあげる際、自分の知識や経験の範囲内でのアウトプットが中心になっているかと思う。

 

しかし、社会問題を取り上げる記事を書こうとすると、どうしてもインプットなしには完成度の高い記事が書けないのだ。

 

 

僕は昨日、社会問題の記事を書き上げる際、アウトプットと同じくらいインプットをこなしていたのだ。

 

 

例えば、ダウン症の人のことを記事で言及したときに、ダウン症の方々は健常者とどのような差があって、どのような理由でダウン症になってしまうのか、という知識が全くなかったのだ。

 

だから、Wikipediaでダウン症のことを調べて記事に書き込んだ。

 

きっと、「障碍者の不平等問題」という社会問題を記事にしようとしなければダウン症の人に対する知識は今後も乏しかったままだろう。

 

また、「障碍者」という言葉と「障害者」という言葉の違いも知らなかった。

 

今までは、世間的にはどちらも使われているな、という認識しかなかった。

 

しかし、障碍者という議論が別れかねないテーマにおいて、何となくで言葉をチョイスしたくはなかったので、その違いを調べるに至った。

 

この言葉の違いも、この社会問題を記事にしなければ今後も知らなかったことだろう。

 

このように、自分があまり深く考えたことがなかった社会問題を記事にしようとすると、きちんと知識武装をしなければ完成度の高い記事を作り上げることが出来ない為に、アウトプットと同時に多くのインプットも行われることになるのだ。

 

そういった意味で、社会問題の記事はアウトプットだけでなくインプットも同時にせざるをえないので、記事にすることをオススメする。

 

社会的意義がある

 

社会問題と言っても当然内容は様々で、死刑制度であったり、男女雇用機会であったり、自殺の問題や待機児童の問題などなど・・・。

挙げればキリがない。

 

このように本当にテーマは色々あるわけだが、すべてに共通しているのが

 

議論の余地がある

 

という点だ。

 

「死刑制度は人が人を殺すのは倫理的見地からあってはならない!死刑は殺人と同じだ!」

 

という人もいれば

 

「死刑制度という抑止力があるからこそ日本の犯罪率は低いのだ!!

なくしてしまったらもっと多くの殺人事件が増える!!!」

 

などなど、まぁご覧いただければ分かる通り賛成意見も反対意見も繰り広げられるわけだよ。

 

議論が展開されやすいということはすなわち、ブックマークも付きやすいということだ。

 

もちろん、このような社会問題を取り扱って議論が展開されるがために付くブックマークは、某炎上ブロガーが日銭を稼ぐ為に恣意的に読者を誘導して付けられる汚れたブックマークではない。

 

議論が展開されるということはそれだけでその社会問題に対して多くの人が考える機会を持てるし、社会的意義がある記事になると思うのだ。

 

 

だからブロガーは社会問題を記事にするべきだと僕は思う。

 

メンタルが鍛えられる

 

社会問題を記事にするということは、上で述べた通り賛成意見もつくが、同時に反対意見も大量につく。

 

で、例え賛成意見と反対意見が同数だとしても、人間ってどうしても悪いことのほうに目がいってしまいがちなのよ。

 

ショウペンハウワーの言葉を引用するのならこうだ。

 

全身が健康であるとき、人は自分が健康体だということを如実な感覚として感じることはない。しかし、何か痛みがあるとき、たとえば靴の中にほんの小さな小石が入っただけで痛みを覚える。しかも、その小さな痛みのことばかりを感じるものだ。

「自殺について」河井眞樹子訳

 

そう、喜びよりも悲しみの方が人は積極的に感じでしまいがちなのだ。

 

 

だからこそ、多くの賛同意見よりも、少数の辛辣な意見の方が気になって仕方がない、なんていうことはブロガーたちならよくある話だろう。

 

それが、社会問題という問題を提起しようもんならそれはマグマに片足をつっこむようなものだ。

 

本当に大量の否定的な意見が付くだろう。

 

もちろんこれで心が折れしてしまい、ブログの継続を断念してしまっては元も子もないが、今後も多くの人々から注目されるようなブログにする為にはきっと多くの反対意見に遭遇することになるだろう。

 

メンタルは鍛えておいて損はないはずだ。

 

だから、僕は今後も積極的に社会問題を取り扱いと思っているし、みんなそうすべきだと思う。

 

自分の知識不足に気付ける

 

まぁ社会問題を取り扱うとなると、そのテーマに精通したはてブユーザーがきっと多く集結することになるだろう。

 

そして、自分が持っている知識のすべてをぶつけた記事を書き上げたとしても、自分の知識量を遥かに超えるユーザーたちに、記事の中に点在するロジックの穴を徹底的につつかれることになるだろう。

 

悔しいよな。

 

本文で追記したりツイッターでつぶやいたりして反論したくなるよな。

 

 

しかし、悔しいと思う反面、自分の知識不足を補ってくれているともいえるのだ。

 

そうすれば、次回同じようなテーマを別の視点で取り上げた際に、さらに内容を濃いものにできるし、以前よりも完成度の高い記事が作れるようになるのだ。

 

このように、社会問題を取り上げるということは、そのテーマに対する見識を高めることが出来る為、ブロガーとしてだけでなく、一社会人としてもレベルアップを図ることが出来るのだ。

 

 

 

以上が、僕が社会問題をもっと記事にすべきだと思った理由だ。

 

社会問題、もっと記事にした方がいいと思っただろう?