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RYULOG

龍太郎の雑記ブログ

「本当ですか?」という言葉は本当に失礼な言葉なのか。

雑記 雑記-思想
 

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僕も含め、若者はよく

 

「本当ですか?」

 

という言葉を日常的に使う。
 
しかし、どうやら僕らより上の世代、特に40代以上の世代の大人たちはこの言葉が嫌いらしい。

 

ちなみに僕は今の会社に入って2回、
「本当ですか?」
と言って注意された。
彼らがなぜこの言葉が嫌いなのかというと

 

「疑うのは相手に対して失礼だから」

 

と、皆全く同じ理由の述べる。
しかし僕は、この「失礼だ」という理由は浅はか極まりないと思っている。
「本当ですか?」
という言葉はむしろ日本人らしい素晴らしい表現方法だと思う。
 
 

「ありがとう」という言葉。

 
我が国には相手に感謝の意を示す言葉として

 

「ありがとう」

 

という言葉がある。
「ありがとう」という言葉は
「滅多にない、貴重だ」
を意味する「有り難い」から成り立っている。
つまり「ありがとう」という言葉は、相手がしてくれたこと、現実に起きたことに対して
 
「それは滅多にないくらい素晴らしいことだ」
 
という、感謝の意をあえて遠回しに表現し、謝意を強調している言葉なのだ。
 
「感謝します」
 
という直接的な表現ではなく
 
「滅多にないことです」
 
という遠回しな表現は実に日本人らしい言葉だ。
 
この言葉に対して
「滅多にない?実際にあっただろ!失礼だ!」
なんていう人がいるだろうか。
 

「本当ですか」という言葉。

 
「本当ですか」

 

とは、相手の発言に対し
「疑い」
を投げかける言葉だ。
しかし、「疑い」の役割を果たしている言葉ではあるが、
若者が日常的に使用する場合には「疑い」より「驚き」にウェイトが置かれていることが多い。
つまり、
 
「疑ってしまうくらい驚いている」
 
ということを表現する場合に使用することが多いのだ。
皆本当に疑っているわけではない。
 
驚いている様を遠回しに表現し、驚きを強調する言葉が
「本当ですか」
という言葉なのだ。
 
成り立ちは
「ありがとう」
とは異なるかもしれない。
しかし、
 
"あえて遠回しに表現することによって自分の意を強調する"
 
という性質はどちらも同じではないだろうか。
そういう意味で、僕は
「本当ですか?」
という言葉は、自分の意を直接的に表現するのではなく、あえて遠回しに表現するという日本人らしい奥ゆかしさのある言葉だと考えている。
 

言葉とは変化するもの。

 
言葉とは時代とともに変化をしてくものだ。
今、平安時代の言葉を使って会話をしている人はいないだろう。
(「本当ですか」に説教を垂れる人たちはもしかしたら使っているかもしれない。)
 
言葉とは、情報伝達手段として広く普遍的に理解されていることにより成立するものだ。
つまり、「本当ですか」という言葉を使う人が多く存在し、その言葉の意を理解している人がたくさんいるのであれば、それはすでに日本人の共通の言語として定着しているということなのだ。
 
それにも関わらず、若者が
「本当ですか」
という言葉を使ったとたん、一部の人たちはわざわざ会話を一度止め、説教をし始める。
そして、なぜ相手に失礼なのか、その理由を5分ほどの時間を使い説明する。
なぜ一部の大人たちはこのような無駄な時間の使い方をしようとするのだろうか。
 
 
そして、なぜ
「相手に対して失礼」
などという逃げの理由を述べるのか。
きっと
「相手に対して」
ということによって「俺以外にも多くの人が失礼だと感じているぞ」ということを表現したいのだろう。
 
だが
「相手に対して失礼」などと言わずに
「俺がムカつくからやめろ」
と素直に言うべきだ。
 
失礼だと感じている人はごく一部でしかないからだ。