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RYULOG

龍太郎の雑記ブログ

1か月半後に脱サラを控えた26歳の覚悟を記しておく。

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人は、大学生までは

 

「自分は人生の主人公である」

 

と、信じて疑わない。

 

人は皆、自分は特別な存在だと信じて大人になる。
しかし、就職活動を通して、周りから否定され、何者でもない己という存在を知ることになる。

 

「自分は主人公でも何でもない、その辺に転がっている石ころと同じである。」

 

ということに初めて気づく。
特別な存在でもなんでもない、ごく普通のつまらない人間であることをまざまざと思い知らされる。

 

会社に入ると自己否定はさらに加速する。
周りからは極力目立たないことを要求される。
己の主張は押し殺される。
周りに同調することを要求される。
空気を読むことを要求される。
そして、会社内で出世することが人として唯一の成功であるかのように錯覚をするようになる。

 

僕は、昔から割とリーダーシップを取りたがる人間だった。
高校の頃には自分が中心となり草野球のチームを作ったり
大学生の頃も、既存のサークルにはほとんど所属せず、すぐに自分が代表となりサークルを立ち上げた。

 

そう、これが本当の僕だ。
僕という人間は、本当は自信に満ち溢れた人間だ。
「周りの人間を巻き込んで何かを成し遂げる資質が自分にはある。」
昔まではずっとそう思ってきた。

 

ただ、会社に入ってからはそのような自信は一切なくなった。
会社の先輩から気に入られるよう、平気で自分を否定することで笑いを取ったりするようになった。
そうして日に日に僕の自信は削られていき、今じゃ
「自分は本当にダメな人間なんじゃないか」
と思うようになってしまった。

 

僕はサラリーマンになり、かくしてつまらない人間となってしまったのだ。
会社員とはなんと恐ろしい職業なのだろう。
人間を構成する重要な要素である「自信」や「自分らしさ」というものが、周りのつまらない人間たちに奪われてしまう。
それがサラリーマンである。
それでも人はみな「安定」の代償に「自分らしさ」を平気で生贄に捧げてしまうのだ。

 

しかし、それは仕方がないことでもある。
幼い頃から周りの人間に「安定した収入を得る社会人になる」という生き方を勝手に設定されて育ってきた。
その目標を設定した大人たちが幼かった頃も、周りの大人たちにそのような生き方を勝手に設定されて育ってきたのだ。
今でこそ、少しは多様な生き方も認められつつあるが、それでも

 

「サラリーマンこそが模範解答」であるという意見が大多数だろう。

 

今現在、僕もその「自分らしさ」の対価に「安定」を確保している身だ。
そして、2か月後にこの安定というレールから外れる身でもある。
独立したらしたでまた別の苦難が待っているに違いない。
経済的安定はなくなる。
会社がやってくれていたことは全部自分でやらなければならなくなる。
「サラリーマンこそがベターな生き方」だと考える大多数の人間から、憐みの目で見られるようになる。

 

しかし、僕はそれでも構わない。
二度と、己を否定しなければならない世界には戻らない。

 

これが、2か月後に脱サラを控えた今の僕の決意である。